本を読むということ

映画ではなく本

映画ではなく、本を読む必要があると思う。

・・・映画がより面白く改変されている、より視覚を通して理解できるように、改変されているということは別にして…。

 

なぜなら、映画では、観客が手にする情報が少ないのだ。観客は、登場人物の言葉にしない感情や思いを、表情や体の動きなどから想像するしかない。

感情はわかる。でもその感情を生み出している、思いや信念のようなものは、自分の体験を通して推測するしかない。

ほんとうにはわかっていなくて、誤解していることもあると思うのだ。

 

でも、本なら、より正確に?(作者の意図通りに)想像できる。

本には、登場人物の気持ちが明確に書かれてるとは限らない。

でも、映画より情報が多いので、推測しやすいように思う。

 

例:『IT』のスタンリー

スティーブン・キングの『IT』では、主要なメンバーの一人であるスタンリーが、大人になって招集がかけられた時に、自殺する。

その理由は、映画イットの1990年版でも、本でも明かされない。

でも、映画を見ていた限りでは、スタンリーは「臆病なんだ」「怖がりなんだ」と思われた。

本の描写:情報が多い

しかし、本によると、スタンリーは弱虫ではなかった。本には、自殺の理由を推測できる、ほかの描写がある。

 

スタンリーの子供時代の描写

「恐怖よりももっと恐ろしいものがある…。あいつらは、正気の人間の秩序に対する感覚を狂わしてしまう」「恐怖につき合って生きていくことはできると思う、…。しかし感覚に狂いが生じたら、それはもう生きてはいけない」。

怖いのは大丈夫。でも、神さまが地軸に傾きを与えたので、赤道直下の薄暮は12分でエスキモーが住むところでは1時間以上もつづく、といったことがくつがえるのは耐えられない、といったことだった。

そういった、真理とされているものから外れていること、真理とされているものの概念を崩すものに、耐えられなかったのだ。

 

大人になった時、ビルが子供時代のスタンリーを回想

ビルは、スタンリーが、とても几帳面だったことを思い出す。「怖いのは耐えられるけど、自分が汚くなるのは耐えられない」と言ったこと。

ビルは、スタンリーは、清潔に死ぬほうを選んだ、という。

 

こういったスタンリーの価値観、生きる基盤のようなものは、本を読まないとわからない。

映画での誤解=説明不足だから

1990年版映画では、スタンリーは、グループから離れがちで、「将来またITが出た時にはいっしょにやっつけるぞ」いう誓いの輪に入ることをためらいがちだった。

また、穴に入っていくこともためらった。

だから気弱な臆病者に見えた 。

本の力

本を読むから、その表面だけでは理解できない、その人の思いや気持ちというのが分かる。

それに共感することで、自分にはない、自分が知らなかった、または自分が気付かない人間の気持ちというものを、実際にその人や場面と接することなく、自分の中で安全に体験できる。

これが本の力だと思う 。